アニメの中の食べ物 1/子供の頃の思い出

アニメの中に登場する食べ物で多くの人が食べてみたいとあげるのが ハイジがオンジの山小屋で食べる暖炉であぶって溶かしたたチーズを乗せたパンとか ギャートルズに出てくるマンモスの骨付き肉とかだろう 
しかし考えてみると 実際に美味しいのだろうか ハイジのパンを再現したメニューだとか ギャートルズ風にした加工肉販売とかがあるが これらは日本人の好みの味覚やこういう味であってほしいという願いをかなえる商品だ 

リアルな味を追求するなら
パンは麦をこねて焼いただけ アニメ中では小さな村なのでパン屋などあるわけでもなく 各家庭で焼いてるかパンを焼いた人が近所の他の家の野菜や肉と交換する程度の流通だろう だから専門のパン職人が手間ひまかけて作るわけではない 日々の生活の忙しさの中で味より空腹を満たすことを優先して作られるパンだ 少々塩味がある程度の生目の粗い固めの素朴なパン チーズはヤギの乳から自然発酵させる工場設備で作るわけではないから品質にばらつきのあるクセのある匂いと味だろう 決して美味しものではない だからこそ街へつれていかれてそこでの食事に出てくるパンの美味しさに驚いたのだ マンモスの肉は手に入らないので肉そのものの味に言及することはできないが 調理法を見ていると ただ切ってたき火で焼くだけ 彼らは塩の精塩技術も持ってないので 味付けはなにもない 肉の味だけだ さらにたき火で焼くということは表面中心に焼け 内部にはなかなか火が通らないその状態で食べられるように焼くとなれば表面は焦げて炭のような状態になるだろう もしくはシシカバブ式に表面が適度に焼けたらかぶりついて 内部のまだ火が通ってない血の滴る肉が出てきたらまた焼き直すということを繰りかえしていたか どちらにしてもなにも味付けのない肉だけをかぶりついても 現代日本人にはとても美味しいとおもえるようなものではないだろう 
そんな風に思ってしまうから 子供の頃から皆が言うように ハイジのパンが美味しそうとか ギャートルズの肉が食べてみたいとか思ったことなかった どちらかと言えばハイジのパンは質素な食事すぎてこんな食事しか食ることが出来ないんだって感じたくらいだ 物語の意図としても こんな質素な生活のなかでも僅かな楽しみから幸せに変えてしまうハイジって部分なんだと思う だからあれを美味しそうに食べているのはハイジの性格を表す表現であって それを真に受けてあのパンはホントに美味しいに違いないと感じるのは間違ってると思う


わたし的に印象にのこったアニメ中の食事は
ひとつは 『千と千尋の神隠し』で両親が食い散らかして豚になるシーンのカウンタに並んだ大皿料理

なんだか得体のしれない不思議な料理ばかりだが美味しそうに見える


もう一つは 『ルパンIII世 カリオストロの城』の城下町の酒場でルパンと次元が食べるミートボールのスパゲティ 

大皿に盛られたスパゲティをルパンと次元が取りあいする
これはもう完全に味が予想つく ミートボールをトマトソースで煮込んでスパゲティに絡めたもの もしかしたら仕上げに上からオリーブオイルを振りかけてあるかもしれない


あとラピュタの冒頭で残業するための夜食として買うシチューとそれに入れるミートボールも美味しそうだったな



私はなんとなくこういった大皿料理のシーンに引かれる 子供の頃の郷愁を感じるからかもしれない うちは大家族というわけではないが おかずを大皿にもって食卓にど〜んって感じが多かった 印象に残っているのは 私は食べなかったが 蕗の時期になると大量に炊いて どんぶりからあふれんばかりの蕗をサイドメニューとして父が食べていた てんぷら等もさまざまな具のてんぷらが大皿に山盛りになってテーブルの中央に鎮座する 量が多すぎて皿は空になることなく大概少し残るくらいの量を母は作る 残った分は翌日の弁当とか 冷蔵庫に保存しておいて母の昼とかになる おやつ代りにシャコ(えびみたいなやつ)をバケツ一杯くらい買い込んできて一気に茹でて食べたことも何度もあった アサリのみそ汁も好きだったが 大量のアサリを大鍋にいれてみそ汁を作る 数杯おかわりしてもまだ翌日食べることが出来た 私の体が小さいこともあって母はとにかく沢山食べろと言い いつも食べきれないほどの大量の食事が食卓にならんでいた 
そんな状況だったから コミックやアニメの食卓風景でピンとこない部分もよくあった

たとえば『うる星やつら』でラムちゃんの父親が家出してきて諸星家で夕食するシーン 大皿に盛られたえびフライを一人何匹食べられるかと計算する 一応ネタ的にこういう状況のほうが面白くなるからというのも判るが そんなんなら最初から一人分づつ皿に分けて出せばいいんじゃないのと思ってしまう 大皿に盛るってことはどれだけでも好きなだけ食べられるものというのが我が家の考えだった うちでもエビフライは大皿に盛られて出てきたが 大皿にそれこそ高さ20センチくらいまで山積みにされたエビフライを好きなだけ堪能するものだった 高校時代友達が遊びに来て夕食が大皿に山盛りに盛られたエビフライで 足りなければおかわりあるよと母が言ったとき 友達はすげ〜って言っていた

あとよくあるのがすき焼きの肉バトル 最近みたなかでは『らき☆すた』であったな すき焼きってのは肉が主役 肉を食べるものだと思っていたので なんで主役の肉が少ししかないのか子供の頃は解らなかった すき焼きの時ははりきって母は肉を買いに行った 来客で大勢で食べるときなどはそれこそ数キロの肉を買い込んでくるのだ お客様に絶対肉が足りないなんて事がないように充分すぎるほどの肉を用意する つまり絶対残るように肉を買ってくるのだ 別に肉が残っても 翌日とかのメニューの材料として肉を使えばいいだけという考えだ 母は食べるのが趣味みたいな人だった 食べ物にすごくこだわってその為なら遠い店だろうと値段が高かろうと気にしない よく母は 食べ物にだけはお金をかけると言っていた
そんな生活で結構贅沢な食生活をしていたが 逆に食べられなかったものもある 母は旧家のお嬢様で育ったこともあり下町の味には批判的だった そういうものは不衛生とか何が入ってるか判らないとか言った
小学生の頃 近所のオバサンに焼きそばとウインナーがはさまった調理パンをもらったことがあった 私は見たことがないパンで食べるのが楽しみだったが 母がこんなもの何が入ってるか判らないからお腹壊すといけないと言って挟まっていたヤキソバとウインナーをゴミ箱に捨ててしまい残ったパンだけを渡された このときはすごく悲しく強烈な思い出になった
そんなだからお祭りなどに並ぶ屋台の食べ物も食べたことがなかった 駄菓子屋へも行ったことがなかった お好み焼きやたこ焼きも家で作ったことはあるが お店や屋台で食べたことはなかった

そういうあたりの体験が アニメやコミックで語られる食べ物にまつわるエピソードとどうにもかみ合わないことがあった
大学に入って一人暮らししたりするようになってからは その反動もあって調理パンを買ったり 一人暮らしが大阪ということもあって 西成ドヤ街近くのあやしげな薄暗く細い路地を入っていった先にある食堂へ通ったりしていた