前衛芸術というジャンルがある
一見意味不明に見える中に 自分の内面を映し出して楽しむ芸術だと思っている
しかしそれを創り上げる前衛アーティストと呼ばれる人達の中には 本当にアーティストなのかと疑問を感じる人たちも少なくない というか 大半が芸術家というより単なる詐欺師のようにみえてくる
大学時代にこんなことがあった
私は映像芸術を追求する学問をやっていた
ある時 学科内で世界的に有名?らしい アメリカ人前衛映像作家を招いての上映会が行われた そこには映像作家本人もいて 上映後ディスカッションが行われた(作品も作家の態度もあまりにもつまらなかったので作家の名前は上映会後にはさっぱり忘れてしまった というか記憶するほどの価値を見いだせなかった)
映像内容は前衛映像によくある 身の回りの小物や風景などを撮影して とりとめもなく繋げただけの凡庸なものだった
ディスカッションの時間になって 世界的な前衛映像作家?という肩書きに臆したのか発言する者はまったくいなかったので 私はかねてから疑問に思っていた この映像作家にも言える事を質問してみた
作者本人はこの映像をどのような意図で創ったのか?と
返答は 想定どおり 映像を見た本人が自分で解釈するものなので勝手に解釈してくださいと
この手の映像を視る観客の作品を視るときの心構えなど充分すぎるほど解りきっている
私が聞きたかったのはそんなあたりまえのことではない 作家本人は 撮影対象を選択して 構図を決め 撮影素材を組み合わせる そのそれぞれの過程においては作家に明確な意図があって創り上げた作品なはずだ 映像を視る観客はそれに対してそれぞれの想いを持てばいいだろう しかし作者が目指したものはなんだったのか 私が視た感想なんかどうでもいい 私が勝手に想っていればいいことだ でも唯一作品の創造主たる作家本人の思想がなんだったのかが知りたかった 何度もニュアンスを変えて質問しなおしても 返答は録音のように同じものしか返ってこなかった
私はばかばかしくなった
映像そのものは前衛といってもオリジナリティもなく 本当に凡庸なものだった
そんなものをもったいぶって視せるからには 作家にもなんらかの意図があってこの凡庸なとも見える作品を創ったのではないかと考えたのだが 結局 思考は全部観客にまるなげ
作家にはなんの芸術性センスもなく 単に目に付いたシーンを撮影して意味不明にもっともらしく繋げれば前衛作品として評価されるみたいな詐欺的な開き直りとしか感じられなかった
同じ学生達のなかで前衛ぶってるやつらも 結局他人と違うことをやってただ目立ちたいだけのやつらが多かった
以後前衛芸術家という連中はエセ芸術家の詐欺師だと思っている
ただしすべてというわけではないことは書いておく
たとえば岡本太郎なんかは やはりスゴイと思う
そこにオリジナリティや強烈な個性が光る作品は本物だと思う
あくまでも 世に氾濫する 前衛と言う言葉で本質を煙に巻く大多数の凡庸な作品を創り上げながら 前衛芸術家ぶる人たちを私は否定する