オタクになって40年以上って[記憶の彼方]小学まで

そういや幼少の頃はTVっ子(死語だね)でTVばかり見てた
一番古い記憶は幼稚園に入る前2〜3才の頃だと思うけど白黒TV放送で『鉄腕アトム』(アニメじゃなく実写版 子役が海パンと長靴はいてヘルメットのようなのかぶって演技してた)みてた 当時坂本九の「上を向いて歩こう」が好きでいつも口ずさんでる子供だった 時代は『3丁目の夕日』をイメージしてくれ 実際当時名古屋の下町(港区の埠頭の埋め立て地 まさに港に突き出た土地)の長屋であんな感じだったな
その後下町生活から離れ(当時大被害があった伊勢湾台風で家が水没した事もあり安全な地を求め)山の手(現在では高級?住宅地 当時はただの山を削っただけの宅地)に家を立て引っ越した TVは「狼少年ケン」や「風のフジマル」とか当時日本アニメの創世記で ほとんどの作品を見てたな〜
父親の影響もあった 小学校3年生の時に父親が観たいと言って『2001年宇宙の旅』に連れて行ってくれた その他『スティングレイ』『サンダーバード』『タイムトンネル』『原潜シービュー号』『宇宙家族ロビンソン』『謎の円盤UFO』『ウルトラQ』『ウルトラマン』『マイティジャック』等父親と一緒にいつも観ていた 父親は外資系銀行勤務で日本なのに社内の書類はすべて英語という環境ですこしアメリカかぶれなところがあり アメリカTVドラマ(特に特撮物)等が好きだった

当時は当たり前だがビデオなどない(家庭用ビデオデッキが発売されだしたのは私が18才くらいから 価格が下がって普及しだしたのは20才くらいからだった) だからTVはすべてリアルタイムに見るか 再放送で見るしかないので観たいものを見るというより 今放送されてるものを観なければ次はいつ観られるか判らないという時代だったから とにかく観れるものはなんでも観た
漫画は小学校入ってから『少年マガジン』『少年サンデー』を読んでた(当時はこの2大雑誌の他は『少年キング』くらいだったかな 小学校低学年頃キングに連載してた桑田次郎の『黄色い手袋X』は好きだった)『ジャンプ』は創刊から読んでた 創刊当時たしか不定期連載してた松本零士の『高速エスパー』(原作とは別物のミニチュアアンドロイドのエスパーが活躍するやつ)が好きだったな 『ジャンプ』読むようになってからは『少年マガジン』『少年サンデー』は読まなくなった代わりに『月刊少年マガシン』読んでた こちらの方が週刊よりすこしストーリー性が高い作品が多かったような気がした アメコミをベースにしてSF作家平井和正がストーリー作画を池上僚一がやった『スパイダーマン』が目当てだった 当時は少年漫画と少女漫画の棲み分けがはっきりしており 男が少女漫画を読むことはタブーだった(家族に姉や妹がいればこっそり読む男の子はいたがそれでも友達の前でそんなこと言えばばかにされる時代だった)小学校3年のときの担任の先生(当然女性)が少女漫画のホラー物(当時楳図かずお等が描いてた)が好きな人で 女子生徒に月刊少女雑誌の付録コミックを持ってこさせて 放課中にクラスで回し読みしたりしていた。それが私の初めての少女漫画との出会いだった 
SFは父親と観ていた特撮TVからだが 小学校5年くらいから SF小説「JGバラード」や「アーサーCクラーク」等今から見れば古典SFになるものを読むようになった 小学校6年の時には学校の図書室にジュールベルヌ全集(確かに海底2万米里はSFだが古典すぎてSFといいがたいような微妙な作品が多かった 80日間世界一周なんて作品が発表された当時では世界一周すること事態が夢物語のSFだったくらいだし)が入ったので 卒業間近だったが強引に全巻読破して卒業した(この時クラスメイト数名と全集読破する競争をしたが 結局全巻読破できたのは私だけだった)
小学校5年の時に大阪万博があった 会場はまさに未来都市 なにもかもが新鮮で時を超えワクワクする体験だった 日本人がまだ未来に夢をいっぱい持っていた時代だ 日本モーターリゼーションの幕開けの時代でもあり 父親は当時の日野コンテッサを運転して(トラックメーカーだが一時期自家用車も作ってた)3回も大阪万博までつれていってくれた だから『クレヨンしんちゃん - 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』で万博やウルトラマンの話題が出たりトヨタ2000GTが走り回ったりとても懐かしい気分になるアニメだった しんちゃん映画を子供と見に行く親の世代より古いハズなのに なんであの時代にしたんだろ